あいちトリエンナーレを一日でまわる。  S 四間道・円頓寺

 最後に来たのは、四間道・円頓寺。芸術祭に行くとき、街中での展示を回るのが最も楽しみにしていることだ。美術館は普段からそこを目的地としていくのだが、そのほかの場所には寄らずに帰ってしまう。しかし芸術祭で使われている場所に行くことで、普段はいかないであろう場所へ行くことができる。

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ここで外国人に声を掛けられ、彼女らの記念写真を撮った。確かに日本に来たという感じのロケーションで、そのあと私もこの風景を写真に残したのだ。ちなみにこの建物の中では、梁志和(リョン・チーウォー)+黄志恆(サラ・ウォン)の《円頓寺ミーティングルーム》という作品が展示されていた。

 

 ここで印象に残った作品の一つが、洪松明(ソンミン・アン)&ジェイソン・メイリングの《本当に存在する架空のジャンル》という作品だ。この作品は映像作品で、音楽のジャンル名とそのサウンド、そしてそれらの文化を象徴するグラフィックが組み合わさり、パワーポイントで作成されたものだ。実際に存在しない「架空のジャンル」なのだが、どれもそういいそうだなと思わされるようなジャンル分けで、とても楽しんでみることができた。実際音楽を聴いていると、時代に合わせて様々なジャンルというものが生まれているわけだが、そのジャンル分けは商業的なもので、普段聞いているときにはもはや考えない部分だ。それをあえて考えさせたそんな作品だ。

 

 つぎに印象に残っているのは、円頓寺銀座町店舗跡で行われていた、葛字路の《葛字路》という作品だ。

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これは展示と映像で構成された作品だ。一つ目の建物では、《葛字路》についての映像、二つ目の建物では実際のニュースで葛字路について読み上げられてた部分だけをつないだ映像と、実際に使われたであろう葛字路の掲示物が展示されていた。作家の名前の末尾が「路」であることを利用して、北京市内を通る複数の名前もついていない道路に自身の名前を命名。そして道路名を示す案内標識を勝手に設置した。すると中国の国内オンライン地図サービスが次々と正式名称として登録したそうだ。中には政府が使用している地図サービスも含まれており、政府の管理するホームページにも載っている始末だったそう。この作家は公共空間における個人の抵抗をテーマに作品を作っているそう。建物を出て右手を見ると、その件の案内標識も展示されていた。

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純粋にくすっとしてしまったそんな作品。

 

 最後に弓指寛治の《輝けるこども》を紹介する。

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思わず涙が出てしまった作品。この作品は実際に鹿沼市で起きた、クレーン車が子供たちを轢いてしまい、6人もの子供が命を落とした事故を題材にしている。作者の丁寧な取材によって完成している作品で、その範囲は被害者だけでなく、加害者にも渡っている。入り口には亡くなった6人の子供たちの似顔絵が展示され、足を進めると、会うことのできた子供の親から聞いた、その子供のエピソードや人となりが書かれているコーナーに行きつく。また加害者には以下の理由から会うことは出来なかったようだが、裁判記録などをまとめていた。

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またこの加害者についてのコーナーはのれんで隠されていて、精神的に不安な人は見なくても良いことになっている。実際悲惨な事故を扱ってるのだが、直接的に悲劇が反映されているわけでもなく、色もとても明るい。すごく取り上げたテーマとの対比が顕著だった。

 

 ところでこのエリア、いままで名古屋駅に近いにもかかわらず、来たことがなかったのだが、すごく風情のある街並みで、この芸術祭を通して行くことができてとてもよかった。

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あいちトリエンナーレを一日でまわる。  A 愛知芸術文化センター

 次に向かった愛知芸術文化センターは、愛知県美術館愛知県芸術劇場を併せ持つ複合施設で、このトリエンナーレにとって最も多くの作品の集まる会場だ。件の「表現の不自由展・その後」はこの会場にある展示のうちの一つだった。

 

 この会場で何よりも印象的だったのが、展示中止の掲示を撮る人が多かったことだ。

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また展示を中止した作家や実行委員会のステートメント掲示されているのも印象的。私が行った日よりもこの表示や掲示はより多くなっているだろう。


 印象に残った作品としてはタニア・ブルゲアの《10,150051 126》だ。

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入り口にスタッフがいて、メンソールのアレルギーがないかを聞かれ、作品解説を読むように言われる。作品解説を以下に引用する。

 展示室に入る前にみなさんの手にスタンプが押されます。この数字は2019年に国外へ無事に脱出した難民の数と、国外脱出が果たせずに亡くなった難民の数の合計を表しています。部屋の中には何も見えませんが、目元に刺激を感じる人もいるでしょう。場合によっては涙がこぼれるかもしれません。

 この室内は、地球規模の問題に関する数字を見せられても感情を揺さぶられない人々を、無理やり泣かせるために設計されました。

 涙が誘発されたことによって、私たちの自覚のない感情が明るみに出る場合もあるでしょう。この作品は、人間の近くを通じて「強制的な共感」を呼び起こし、客観的なデータと現実の感情を結びつけるよう試みているのです。

 この解説を読んだ後に展示室へ入った。展示室に入る前には解説にもあるように腕に数字のスタンプを押された。どうやらかなり数字を更新しているようで、作品名の数字も増えている。また展示室内の壁にある数字のスタンプも増えている。展示室内は数字以外は真っ白で、メンソールが充満している。一人になりたかったので少し長い間この展示室にいたのだが、これは効果覿面、涙が溢れてくる。客観的なデータだけを見るということと泣いたという主観的な感情が同時に体験できるということは、その問題に対して向きあうきっかけになる。それをもはや強制的に体験させるのがこの作品の醍醐味で面白く独創的な点だと思う。

 この展示室に行く前からメンソールの匂いのする人とすれ違ったりしていて、てっきり虫よけスプレーをつけているのかと思ったりしていたのだが、この展示を体験した人たちだった。

 

 次に印象に残った作品は、メインビジュアルにも採用されているウーゴ・ロンディノーネの《孤独のボキャブラリー》だ。

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 まるで生きているかのようなピエロが展示室内に点在している。全部で45体いるそうだ。それぞれが違う行動をとっており、例えば”佇む” ”呼吸する” ”寝る” などと彼らの行う行為から名前が付けられているそう。

 

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特にお気に入りを3人撮ってみた。この展示室は特に写真を撮っている人が目立ち、みんな思い思いのピエロのそばに行って記念写真を撮っていた。鮮やかな色どりの衣装に身をまとっているピエロだが、表情は無表情でとてもアンバランス。かなり広い展示室全体がこのピエロで埋まっているのにどこか静かなのが不思議でたまらなかった。まさに「孤独」の空気が流れていた。




 

あいちトリエンナーレを一日でまわる。  T 豊田市美術館・豊田市駅周辺

 次に向かったのは、今回の会場の中で唯一名古屋市から離れる豊田市美術館とその周辺。1時間強はかかる。今まで何度も足を運んだ豊田市美術館であるが、その周辺は特に見たことがなく、行き来をしていただけだった。今回印象に残った作品があったのはそんな周辺に展示されていた作品たちだ。

 

 ひとつめはトモトシの《Dig Your Dreams.》だ。

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この作品は、縄文時代トヨタ自動車が生まれ、その当時の広告を出すならどんなものだっただろうという架空の設定のもと制作が始まったそうだ。一か月の間、地面を掘り続け、トヨタ自動車の本社の方向を向いたトヨタのエンブレムを作り、その溝に土器をはじめ様々なトヨタ関連の品を配置、そして公募により集まった豊田市民による発掘を行う。写真はその土を掘って作られたエンブレムだ。

 この制作をするきっかけになったのが、トヨタの本拠地であるにもかかわらず、街には特にトヨタの広告はない、なぜだろうという興味からだったそうだ。私自身この疑問は感じたことがある。初めて豊田市に行ったとき、ここがトヨタのお膝元なのに意外にもトヨタという文字は見ないなと思ったものだ。

 建物内には「発掘」されたトヨタのエンブレム上の溝と、その発掘をするきっかけとなった土器の破片、そして復元された土器、そして発掘作業の様子を撮影した映像が上映されていた。この復元された土器が実に面白おかしい。

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いかにもな棚やガラスケースに仰々しく展示された土器、そしてもっともらしい解説文には「トヨタ文」というワード。とてもそれらしい展示に思わずくすりとさせられた展示であった。何より豊田市という場で行う展示として面白かったように思う。

 

ふたつめは豊田市美術館のそばにある旧豊田東高等学校内のプールを使用した、高嶺格の《反歌:見上げたる 空を悲しも その色に 染まり果てにき 我ならぬまで》という作品だ。

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タブロイド紙によると、社会の中で見えなくなっている問題を、自身の個人的体験や身体的感覚に引きつけて、映像・インスタレーション・舞台等様々な媒体で浮かび上がらせるアーティストだそう。今回トリエンナーレで発表されたこの作品は、廃校となった高校のプールの底を垂直に立てているというものだ。会場ボランティアに聞いた人によると、この壁の高さは、トランプ大統領が不法移民や薬物密輸対策として、メキシコとの国境へ建設することを主張している壁の高さと同じそうだ。それを事前にTwitterで見ていたので、あまりの迫力と、自分の目の前に突然この高さの壁ができたらと想像して少しおののいてしまった。

 

 最後に作品の写真は禁止だったのでないのだが、駅の近くにある喜楽亭という建物で展示されていたホー・ツーニェンの《旅館アポリア》の話を少し。

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実際に神風特攻隊員が泊まった宿らしく、その建物全体を使い映像が流れていた。その内容は女将の話や、プロパガンダ作品がモチーフだ。特に2階はほとんど暗い室内で、横山隆一のアニメを見るのはすごい体験だったように思う。轟音で建物が震えている演出もすごかった。実際すべてを見ると100分近くあり、時間のない私はほとんど見ることができなかったため、詳しい感想が言えないのが残念。会期も長いし、この作品は無料で見ることができるので、また来ることが出来たら優先的に見ようと考えている作品の一つだ。

 

 余談だが、いつも豊田市美術館へは歩いて行くのだが、今回は時間がなかったので行きはバスに乗った。いつもと違う入り口近くにバスが止まったので、そこから美術館に入ったのだが、すぐ近くにこんなものがあった。少し違うところから入るだけでこんな発見があるとは。外で売っていたクラフトコーラを飲みながら見学した。

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あいちトリエンナーレを一日でまわる。  N 名古屋市美術館

 このあいちトリエンナーレは、大きく4会場に分かれているが、その全会場を合わせると9:30~20:00までなにがしかの展示を見ることができる。一番最初に開場するのは9:30開館の名古屋市美術館、一番最後に閉場するのは20:00までの四間道・円頓寺という具合だ。

 

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 というわけで一番最初は名古屋市美術館。この写真は外観と中階段の壁を撮った写真だが、これと同じような特徴がある美術館として埼玉県立近代美術館がある。同じ建築家が設計しているのですごく共通しているものも多く、印象に残っている美術館である。

 

この名古屋市美術館で印象に残っているものとして、モニカ・メイヤーの《The Clothesline》という作品がある。

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 この作品は、1978年に初めて発表され、35回以上も続けられたプロジェクトだそう。女性に対する暴力をテーマとしたプロジェクトだが、参加型のプロジェクトなので、その時代、土地、文化などによって少しずつ変化するのが特徴だ。今回のあいちトリエンナーレでは2回のステージに分けて進めてられているそうだが、この展示を見に来た鑑賞者も参加できるようになっていた。

 女性に対する暴力をテーマとした質問が書かれたいくつかの紙が机の上にあり、参加者は匿名でそのテーマについて書くことができる。その書いた紙は、机の上のポストに入れてもよいし、直接展示することも可能だ。

 私自身は参加はしなかったが、そこに展示されている匿名の体験談やアイディアなどを読んだ。読んでそのテーマについて考えること、それ自体も一種の参加であると感じた。誰かと来ていたならばそのことについて話すということも参加になるだろう。「女性に対する」と書いたが、実際女性に対する抑圧やハラスメントは男性にも起こりうることで、実際男性の体験談なども書かれていた。自分自身、「女なんだからこうあるべき」「女の子なんだから・・・」などと言われることに拒否感を覚えるようになっている。そのような言われ方は、男性だってあるだろうし、それを嫌だと感じる男性は絶対にいるだろう。フェミニズムというと、女性だけの問題に見えるが、男性の問題でもある。あくまで男女が平等に扱われることを目指しているからだ。改めて様々な人の意見が展示されていると、いろいろなことを考えさせられた。

 

また印象的な作品として、ドラ・ガルシアの《ロミオ》がある。

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 これは冷戦時代に東ドイツのスパイ・マスターが生み出した諜報戦略から着想したもので、その場にいる観客をパフォーマンスに巻き込む。このポスターはそのパフォーマンスについて説明宣伝しているもので、ポスターには、「彼らの使命は、親しみやすく、何気ない振る舞いでトリエンナーレの来場者ひとりひとりを魅了すること。・・・相手の同意があれば、より一層密接に接してこようとする。たとえば、より長い会話、ジョーク、告白、褒め言葉などで。」などと書かれている。そこには他人同士が本当の好意を抱く可能性などを示唆されていた。

 このポスターはほかの会場でも展示されていたし、このパフォーマンスもすべての会場が対象のようであるが、私が初めて見たのがこの会場だったので、ここで触れる。トリエンナーレには様々な人が訪れる。私のように一人で来た人もいるだろうし、家族や恋人、友人と来た人もいるだろう。彼らと新しい関係性が生まれる可能性ももちろんあるわけだが、《ロミオ》のパフォーマーとの新しい関係性が生まれる可能性がさらに加わるわけだ。パフォーマーだということは、それは「仕込まれた」出会いではあるわけだが、そこに何かが生まれるかもしれない。とてもワクワクするパフォーマンスだと感じた。ちなみに私は会場で彼らと会うことはできなかったし、出来ていたとしてもうまく会話が出来ていたのかは謎である。

 

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 ただ上記に挙げた作品は、本来の状態で見られなくなった作品に両方ともなっており、《ロミオ》はポスター上にステートメントを掲出している。

 特に大きく変わっているのは、《The Clothesline》だが、「来場者から寄せられた回答が取り外され、破られた未記入のカードが床に散りばめられる。ロープにはステートメントが掲出され、《沈黙の Clothesline》に変わる」そうだ。ここまで来ると、もう別の作品だ。Twitterで変更になった《沈黙の Clothesline》の写真を載せている人がいたが、なかなかショッキングだった。現代美術は状況によって変化があるのが醍醐味であるなあと感じた出来事であった。

 

(8月24日追記)

 最後にもう1作品印象に残った作品を紹介する。Sholimの《Sholim Inspried by Tokyo Story》などだ。

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写真のように壁に大小さまざま液晶が展示されているのだが、画面にはGIFアニメーションが映し出されている。コラージュという技法は美術史的にもシュルレアリスムなどで用いられた技法だが、それが動くのだ。そしてGIFなので無限にループする。そのどこか奇妙で怪しげな表現とGIFのループとの相性が良くて永遠に見ていられるような作品だった。この作品の驚くべきところは、QRコードが展示室に示されており、ネット上で自由に作品を見ることができる点だ。しかも各種SNSで拡散できると書いてあるあたり、とても現代的な作品だった。

 

gifmagazine.net

特に《Dream 1》が気に入っている。

あいちトリエンナーレを一日でまわる。

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 こんなにもいい意味でも悪い意味でも有名になってしまった芸術祭はあっただろうか。8月1日から始まったあいちトリエンナーレは、たった2日間で本来の形で鑑賞することは不可能となってしまった。その大きな転機は8月3日から展示が中止となった「表現の不自由展・その後」であるということは自明の理である。

 

aichitriennale.jp

 

 次第に話は大きくなり、上記のような決定までなされた。私がもともと行く予定を立てていたのは8月18日。それは上記の作品たちを本来の姿のままで見ることのできる最後の日である。私自身、愛知には何度か展覧会を見に訪れており、特に”豊田市美術館”はお気に入りの美術館の一つである。前回の展示を見に行った際にトリエンナーレの前売り1DAYパスを買ったときには会期も長いし涼しくなったら行こうと思っていたものである。しかし少しでもそのままの姿で展示を見たいと考え8月に行った次第。

 

 芸術監督が、一日で回るならこうするといいよ!とTwitterでリプを送っていたので、それを参考になんとか一日で回りきることに成功した。(ただしiPhoneのヘルスケアを信じるならば一日で16キロ歩くことになった、、、)これから何回かに分けて淡々と自分の感じたことを書こうと思う。

 

 

 

 

このブログについて

自分の趣味を記録しておく場所が欲しくなり始めた。

音楽鑑賞、展覧会巡り、仮面ライダースーパー戦隊ウルトラマンの三大ヒーローの鑑賞。

これが今の主な趣味である。

 

恐ろしく名前などを考えるのが苦手なので、

すべて好きな花である「アネモネ」を題材にした。

例えばブログ名の〈儚い夢〉はアネモネ花言葉のひとつだ。

 

さて書くこととまとめることだけは好きなので、

細々と続けていこうと思う。